副業ママブロガー、楽しいブログを始めるよ

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副業ママブロガー 楽しいブログを始める

「楽しい」から始めたブログだった

文字に触れることが好きだった。

 

幼いころ、母が寝かしつけのたびに絵本を読んでくれていたこともあり、活字に触れることに抵抗はなかったのだと思う。

小学生になるころには、自分の意志で図書館へ何度も足を運んだ。本を読むことで出会える新しい世界は、いつだってわたしをワクワクさせた。

 

そのままオタクの道に進んだわたしは、創作も二次創作も、飽きることなく夢中で書き続けていた。

文字を書くことは、まったく苦ではなかった。


むしろ、自分の思いや考えが言葉となって、インターネットの先にいる誰かに届いていると思うと、楽しくて仕方なかった。

 

 

だからこそ、産休・育休中という一種の「社会人のモラトリアム期間」に、ブログを始めてみようと思いついたのだと思う。


育休中に知ったことや使ったものの感想を、同じような立場の人に届けられたらいいなと思って、気軽に書き始めていた。

 

ありがたいことに、その文章が収益を生んだ。

 

「ブログを始める=収益を生む」という感覚はあったけれど、想定以上の収益を得て、少々(いや、だいぶ)調子に乗ってしまった。

収益が出るブログとして、もっと成功したいと思い、「収益化できるブログとは?」というノウハウをどんどん頭に入れていった。

 

学んだことを、自分のブログにどんどん取り入れた。
時間をかけて「正しいノウハウ」を繰り返すことで、PV(ページビュー)数と収益は着実に伸びていった。

 

自分の体験や感想が、読んでほしい相手に届いていると思うと嬉しかったし、手元に入ったお金で夫や子どもに還元できるのも、純粋に嬉しかった。

 

ブログ収益でお泊りディズニーへ

 

「育休中にブログをはじめてよかった」と、心から思っていた。

 

 

「正しい」ことをするはずだった

 

2024年4月。
慣らし保育に通わせつつ、自分も職場復帰に向けた準備を進めていたころ、ふとブログのことを考えていた。

 

復職すればこれまでのように、確実にブログに向き合える時間は減っていく。

でも、毎日少しずつでも時間を取って「正しい努力」を続けていけば、そう大きな変化はないだろう。そう思っていた。

 

復職をしてわかった、副業をやる人の「ヤバさ」

 

甘かった。

 

2年の産休・育休を経て復帰した先は、以前とはまったく異なる部署だった。
使うソフトは同じでも、仕事内容も同僚もすべて違う。


ほぼゼロベースからの再スタートだった。

 

限られた時間の中で、仕事を覚え直し、人間関係も一から構築し直す日々。

気がつけばお迎えの時間になり、「今日も給食はほとんど食べませんでした」と報告を受けながら、胸元で泣く子どもを抱える。

 

子どもと大人の夕飯を作り、「食べたくない」と泣くわが子に、ほぼ無理やりごはんを食べさせて、お風呂に入れる。

新卒指導で疲れ切って帰ってきた夫に、夕飯を温めるよう伝えて、ようやく寝かしつけ。

 

「毎日少しずつ時間を取って」は、「週末にある程度まとまった時間を取って」に変わっていった。

 

これは「楽しい」ブログなのか?

 

ありがたいことに、夫は「ブログのための時間」を快く作ってくれる人だった。
その事実に感謝しながら、限られた時間の中でブログに向き合った。

 

 

競合の記事を確認し、自分のブログに足りない記事はAIに下地を作ってもらい、少しずつ追加していく。
アクセスの極端に少ない記事は、非公開にした。

気づけば、育児雑記ブログはどんどんと「特化ブログ」へと変わっていった。

 

ブログを始めた当初に感じていた「楽しい気持ち」は、AIで記事を増やすたびに、どんどん薄れていった。

 


自分で記事を追加しているはずなのに、なぜか空しい。

 

 

収益もPVも、ピーク時に比べると減っていた。
それでも、収益もPVも、最低限自分があってほしいと思う分はあって「誰かが見てくれている」という安心感だけは、まだそこにあった。

 

 

そんな中で迎えた8月。
Googleのコアアップデート(=検索アルゴリズムの更新)が入った。

私のブログは、見事にそのアップデートに巻き込まれ、誰にも見られなくなってしまった。

 

コアアップデートで落ちたブログのアクセス数

天変地異は起きた



 

「正しい」をする時間が作れない

 

自分に必要な時間が、どうしても確保できない。

 

「それを言い訳にしていたら、何もできないよ」
という、ごもっともなご意見は、もちろん真摯に受け止めるべきだと思う。

けれど、それでも、この「時間がない」という感覚からは、やっぱり逃れられない。

 

 

「なんとなくスマホを見るようなスキマ時間」は、2歳児をワンオペで見ている中では、生まれない。
「家族より2時間早く起きて時間を作る」というライフハックは、2週間ほど試してみたけれど、体力のないワンオペ正社員には負担が大きく、体調を崩すことがわかった。

 

思えば、ブログを「楽しく」「正しく」続けられていたのは、誰にも邪魔されない「自分だけの時間」が、毎日数時間ずつ確保できていたからだ。

 

わが子はすくすくと育っていく。

成長して意思を持ち、自己主張が通らないと泣き出し暴れる相手と向き合いながら「社会人」として働き、家に帰れば溜まった家事が待っている。

 

そのうえで、さらにプラスアルファのことをするための時間を捻出するのは、いまの不器用な私には、どうしても難しい。

 

その事実としっかり向き合えたのは、年の瀬を迎えた12月のことだった。

 

「楽しい」に今一度立ち返る

一年前と同じように収益を追うなら、新しいブログを立ち上げて運営するのが「正しい」選択だと思う。

育休時代から積み上げてきた知識を生かして、時間を工面して着実に記事を増やしていく。

それが、間違いのない「成功のルート」だとわかっている。

 

 

でも、今の私にとって、その「正しさ」はあまりにも遠い。

 

成功する人たちは、自分を律して、目の前の壁に向き合っているのだと思う。
けれど、今の私には、その壁に向き合う時間も、自信もない。

 

自分でもわかっている。

「それっぽい言葉を並べて逃げてるなあ」なんてことは。

 

「正しさ」から一旦離れて、もといた道に戻ってみる

 

ただ、「できないから何もしない」は避けたい。

 

だからこそ、「楽しい」に立ち返ることにした。

インターネットの先にいる誰かに、自分の言葉で思いを届ける、その「楽しさ」を、もう一度大切にすることにした。

 

この一年で、AIは大きく進化して、わかりやすい文章を簡単に作れるようになった。
でも、その文章や素地は、あくまでAIが用意してくれたものであって、「わたし自身」が考えて書いたものではない。

 

AIは、とても便利でありがたい。

困ったことがあれば、優しく、そして的確に返してくれるドラえもんのような存在だ。


けれど、ドラえもんから与えられたものをそのまま使うことは、私にとっての「楽しさ」にはつながらないのだ。

 

このブログは、「書くことの楽しさ」を思い出すためのブログにしたいと思っている。

収益はあればもちろんいいけども、自己満上等で書く以上、たぶんあったとしても微々たるものだろう。

 

けれどそれでいい。

 

「楽しい」を思い出して、いつかいまの自分にあった「正しい」もかけあわせていけれぱいいなと思う。

その2つが自分の中でうまく釣り合いがとれるようになったとき、また収益が出るようになっているような気がするのだ。

 

 

ぴっかりーんと、光り輝ける唯一無二のブログを、ゆっくりと楽しく続けられますように。